ワーママの日常。2人目の壁

子育て、流産、妊活、仕事との両立など、記録するため、前に進むためのブログ

9週で稽留流産と告げられた①

2016年3月末日

  妊娠9週。

  私は、検診のため午前中で仕事を切り上げ産婦人科へ1人訪れていました。

過去に完全流産の経験があり、またもうすぐ4歳になる娘の妊娠時との悪阻の様子も違い、

今回の検診はなんとなく嫌な予感というか、不安でした。

前回の検診では順調でも、初期は何があるか分からない。それは私の過去の経験から感じていたことです。

とはいえ、軽いとはいえ悪阻も始まっており、流産しているとは思ってもいませんでした。

 

「ま、1人目と2人目は悪阻って違うっていうし、通勤は片道1時間30分。保育園の開園時間もあるから、1人目妊娠時みたいに座って通勤するために始発電車に乗るような通勤体制をとることもできないし、悪阻が軽いのは正直助かるな」

と、悪阻が軽いことに関してはプラスとして捉えようとしていました。

 

  病院は、1人目と同じ産院。ベテランのおじいちゃん先生。

カルテを見ながら

「1人目はまぁ難産だったね。いわゆるフルコース出産か。その娘さんは元気かい?体重管理はちゃんとして下さいよ?また難産になるの嫌でしょ?」

等々、カルテを見ながら、出産に向けた問診を行いました。

激混みの産院。先生は私のことはもう覚えていないだろうけれど、先生のまるで覚えているような話し方に、1人目の出産を思い出し懐かしい気持ちになりました。

 

  そして、検診台へ。

  そして、、、

それまでは、話をしながらエコーをしていた

先生が無言になりました。

 

私はモニターをみました。

大きな袋の割に小さい我が子。

そしてそこには心拍ありません。

 

先生は

「あれ〜見えにくいだけかなぁ、、、心拍が見えなくなってるなぁ」

この時、はっきりと流産と私に告げず、可能性という言葉で締めくくられました。

 

私は

「これはもう期待できないということですか」と尋ねました。

先生は95%の確率で、そうですね、と。

 

また3日後くるように言われました。

気持ちの、整理のための3日間かもしれないなとも感じました。

 

努めて冷静を装っていましたが、モニターをみた瞬間から、頬に涙が伝っていました。

 

予定していた血液検査は中止になり、

記憶があやふやですが、その時のお会計から、保険が適用になっていたように思います。

 

それから3日間、

心拍が見えなくなって

また見えた人っていないかという報告がないかと、インターネットで調べて、

奇跡を信じてみたり、、、

 

会社には妊娠を告げていなかったため、報告するかどうかは非常に悩みました。

誰にも告げず、手術して何くわぬ顔で出社し、働くことも不可能ではないと感じましたが、

数日休むことになるかも知れないと、悩んだ挙句

翌日、会社に行き、上司に報告をしました。

 

幸い自分の仕事が3月末でひと段落していたこともあり、

木曜だったため、金曜日は休み、また経過等を週明け伝えることで折り合いがつきました。

 

続く⬇︎

http://campiko.hatenablog.com/entry/2016/09/18/102216