妊娠判明と乳癌検査疑陽性
2016年10月末。
前回のブログを書いたすぐあとのことだった
人間ドック受診日にフライング気味に妊娠検査薬を使用すると、うっすら陽性。
化学流産も幾度か経験してるので、安易に喜び過ぎないようにしつつも嬉しい朝だった。
妊婦(妊娠の可能性がある場合)は予約した乳癌検査の内、超音波検査は受けられるがマンモグラフィは受けられないとのこと。
初めての乳癌エコー。技師さんに左乳に1センチのシコリが二個あることを告げられる。
2017年10月
5週まで待ち産婦人科に行った。
胎嚢という赤ちゃんの入る袋がみえて、ひとまず妊娠していることがわかる。
胎芽もないし心拍確認前はまだまだ安心もできないので不安と嬉しさと複雑な気持ち
2017年11月
人間ドックの結果、乳癌検査は疑陽性で要精密検査。そして、血液マーカーのCA125という子宮癌系の血液検査も疑陽性で要精密検査。こちらは予想してなくビックリする。
翌日、産婦人科で心拍確認をする。
心拍が見えて、安心して涙がでた。
今回こそ産みたいと自然にそれしか思えなかった
そして、昨日出た人間ドックの結果を伝え、再度CA125の検査を受ける。
乳癌検査の再検査のため、色々な病院に検査の予約を電話すると、、、、、
「妊婦さんは検査できません」
と、予約すらできない病院も多く焦る
乳癌だけでなく、CA125で他の腫瘍マーカーでも引っかかっている。
4歳の娘もいるから、簡単に死なない。もし癌だとしたら出産を諦めるという選択肢もでてくるかもしれない。
と、生きた心地のしない気持ちが続いた。
お腹の子によくないからあまり考えるなと言われるものの
正直、仕事中もちょっと空き時間に「乳癌」のワードで調べてばかりだった。
翌週
出血が少しあり受診。また駄目かと思ったけれど心拍は無事に確認。
そして、乳癌検査の予約が思うように取れないと相談すると、先生が紹介状を書いてくれるとのこと。その手があったのか!!と少し光がみえる。
乳癌検査は二週間後に決まった
流産手術から心と身体の変化
【身体】
手術後の二回の生理はとにかく
びっくりする量。
なんじゃこりゃーでした。
色々調べたら似たような方が多くホッとしました。
その後、量は安定しています。
そして、これまで長め(35〜45日)な周期ではなく、
30日前後でくるようになりました。
【心】
正直、手術後2ヶ月は辛かったです。
今も癒えた訳ではありませんが、
何もなかったように日常を過ごせています。
私と同じ予定日の方が部内にいたので、
手術後1週間くらいの時に、妊娠を部内で発表され、温かい拍手に包まれているのを見た時、
なんで私はこういうことになるんだろうなぁと。
悲しい気持ちが呼び起こされました。
そして、娘が
「妹欲しい、なんでいないの?」の言葉とか、当時はグサっと。
今はサラっと流せますが
稽留流産で手術を受けたその後②
先生の説明では、最低2日は自宅安静。
仕事は行かないで下さいという指示でした。
そして、検診して経過が順調であれば、仕事復帰可。
薬として、収縮を促し内容物を早く排出するための薬が処方されました。
術後すぐの検診では問題はなさそうとのことであり、
術後2日目までは
特に大きな問題もなく、、、
が、2日の夜に寒気ともに突然38度を超える熱が出ました。
電話したところ、すぐに病院に来てくださいとのことで、病院に向かいました。
まず、インフルエンザでないか、インフルの検査をされました。
インフルの検査は陰性。これと言って風邪の症状もなく、、、
そして、
検診。
血が排出されずに、溜まってしまっているからだろうということになり、吸引措置となりました。
この吸引措置、麻酔を一切使わないため、時間にしたら大した時間ではなかったと思いますが
痛かったです(涙)
途中、何回も「うっっ」と声を上げてしまいました
先生には「力抜いて〜あと少しだよ〜」と。
いや、このなんとも言えない痛さは無理っす、、、
でもその措置のおかげで、熱はたちまち下がりました。
しかし、発熱や処置が発生したことから、引き続き、できるだけ安静ということで仕事復帰は後2日禁止という判断が下されました。
ヤバイなぁ、これ以上仕事休みたくない、、、という気持ちもチラチラよぎっています。
「中の血を出すには安静にしつつも運動してみたり、身体戻す努力してね」
「では仕事に、、、もどっても、、」
と言いかけたところで
「だから、安静の範囲で、動いては欲しいけど、まだ安静なのが必要なの、分かる?こないだまでは妊娠してる身体で小さくても、命を守るために、体は変化してて、今度は急激に戻ってるから、貧血起こしたりとか心配ですからね」と。
保育園も遠いため、娘は保育園を休ませているし、娘の急な疾病のために有給休暇も残したいし、職場で、休んでる本当の理由を知っている人は上司のみと限られているため、
そして、何より安静にしていると流産した事実と向き合うのがとにかく辛くて、
早く、日常生活に戻したいと気持ちばかり、焦ってしまった手術直後の生活でしたね。
そして、検診の都度、赤ちゃんがいなくなったエコーを見るのが耐え難く、配慮はされてるものの、やはり産院に行くのが辛く、
とにかく早く日常に戻したいという気持ちで、色んな感情がとにかく渦巻いていました。
今、振り返れば、身体は回復しても心はそうすぐに回復するものでないので、必要以上に焦りすぎていたと思います。
半年近く経ってやっと、こうやって活字に起こせるようになり、向き合えるようになりました。
稽留流産のため、手術を受けた
手術当日の朝を迎えました。
日帰り手術です。
当日の持ち物は、
①脱ぎ着のしやすい上下
②大きめの生理用品
娘は祖母宅に預けました。
ラミナリアという海綿体のようなものを入れ、子宮口を開くために数時間しばし待機して手術を待ちます。
手術にあたって色々な方のブログを読みました。それが物凄く痛いと書いている方もおり、どうなるんだろうという気持ちでしたが、私は経産婦からなのか、緊張感からか、先生の腕がよいからか、そこまで強烈な痛みは感じず、多少の「うっ」という感じで済みました。
ラミナリアを入れ、手術を待つ間、この日も無理やり平日にも関わらず休みを取り病室にいた夫に漫画を買ってきてほしい。と頼みました。
実は漫画が読みたかった訳ではなかったんです。
手術までの間、独りになりたかったというのが本音です。夫には我儘を言いましたが、身体にいる胎児と最後に向き合いたかったのです。
ちなみに、その時、夫が買ってきた漫画が、既に私が持っていた漫画だったり、前日から絶食しているのに、グルメの漫画だったりで、夫には「なんで、こんな時にこんな漫画買ってくるかね?」なんて偉そうにケチをつけましたが、この時のチョイスって今考えると非常に難しいですよね。
むしろグルメ系は無難だったなと今は素直に反省しています。
話を戻して、、、
手術を待っている間、身体の方はラミナリアの多少の違和感のみで済みました。
予定より少し早くなり、
11時30分頃、
いよいよ手術です。
全身麻酔です。
麻酔が入れられ、看護師さんと
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
と数えたあたりで私の意識はプツっとなくなりました。
次に目が覚め、そのまま手術台の上でした。
麻酔から覚めた時間は定かでないですが、手術自体は10分程で終了したようです。
そして、目覚めた時、特段気持ち悪いとかもなく、自分で手術台を降り、となりの安静室へ移動することができました。
先生に
「あなたお酒強い?麻酔効きにくいというか、分解が早いみたいで、手術中、目を開けたので、麻酔を追加してます。具合悪くないですか?」
と聞かれました。幸い麻酔による具合悪さもなく、術後意識も割とハッキリしていました。
ちなみに、、、お酒は、、、嫌いではないです(笑)人並にお嗜む程度?ですが、確かに顔に出ないと周りには言われてきました。
お酒の強さに麻酔の効きやすさが関係するのは、この時はじめて知りました。
麻酔もお酒も分解は肝臓でどうやら同じ酵素のようですね。分解のスピードによって麻酔の持続時間も違うようです。
ただ、術中に目を開けたことの記憶は私にはありません。無意識の意識が目をあけさせたんじゃないかと思う位です。
先生は目が覚めて目が合ったと言ってたので焦っただろうな、、、
数時間安静にしましょうとベッドで横になっていました。
そして、幸いお酒に強いらしい私の体質?は麻酔から覚める経過もよく、割と早く動けるようになり
午後1時には身支度をして、午後の診察が始まる2時前に病院を後にしました。
出血はそこまでひどくなかったです。
また、子宮を収縮するための薬が処方されました。
術後の診察では、仕事復帰を焦る私に先生は、気持ちはわかるが、まずは2日安静にして、経過を見て、判断しますと言われました。
術後のエコーでは、当たり前ですが、胎嚢や胎児が映っておらず、心拍が止まっているモニターを見た時以上の哀しみと喪失感をこの時1番に感じました。
あぁ、本当にもう私のお腹には赤ちゃんがいなくなったんだ、と、やっと現実を見たのです。
その後、心はともかく、身体は順調な経過でよかったよかったと思っていた、2日後、、、
排出不良による発熱のアクシデントがあり、病院で処置を受けることになります。
続く
(続き〕9週で稽留流産と告げられた
2016年4月上旬
流産の可能性が極めて高いという診察後、2日が経過し、3日目また産院へ行きました。
普段、仕事で土日も出勤する忙しい夫も病院に連れ添ってくれました。
ついこないだまで、妊婦向けの雑誌を読んだりと、気が早い私は、名前を考えてみたりと、のんびり待ち時間を過ごしていましたが、さすがにそんな気も起きず、呆然と待合室に座っていました。
周りは穏やかな空気に包まれた妊婦さんでいっぱいです。
とにかく居心地が悪かったと記憶しています。
先週まではその暖かい空気で違和感なく待合室に座れたのに。
なんで、なんで、なんで。という思いです。
私の名前が呼ばれました。
先生も前みたいに出産に向けた問診ではもちろんありません。
「体重管理しろよ〜」って言ってくれた問診が遥か昔の様に感じました。
検診台に上がりました。
袋が少し小さくなり、胎児の形も崩れているようにも見えます。
私の流産が確定しました。
夫が呼ばれました。
以前経験した流産は、
仕事中に出血が始まり、その後完全流産(自然流産)で、手術せずにその妊娠を終えました。
今回は、稽留流産と呼ばれるもので、私の中に留まっている状態です。
自然流産を待つか、手術をするかどうするかの話になりました。
自然流産を待つ選択をしてもいいが、その出血がいつ始まるか分からないかつ、その出血量も多いかもしれないので、出来たら基本は自宅安静もしくは何かあってもすぐに病院にこれる活動範囲にしてもらいたい。と先生。
仕事は?と聞くと、
全くダメではないが、あなたは電車に1時間以上乗る距離。自然流産を待つ場合、仕事はできたら控えて欲しい。
そして、出血しても完全に組織がでない場合は、結局手術になることもあります。という説明を受けました。
この病院ではメリットデメリットを伝えた上、選択は自分に委ねられました。
自然流産を選択した場合、いつになるか分からない出血が始まった時に娘を連れて病院に行けないということ、そして、仕事をいつまで休むという明言ができないのはキツイな、と手術を選択することにしました。
手術は明日でもいいと言われましたが、
流産が確定したとはいえ、この後に及んでも奇跡を未だ信じている私に明日手術をと決断できず、1日おいて手術を受ける事が決まりました。
手術当日の流れについては婦長さんから直々に説明するということで、診察室を後にしました。
詳細を受けた部屋は殺風景なスタッフルームでした。
「ちょっと今、他の部屋が埋まってて、こんな部屋でごめんなさいね」と婦長さん。
今思えば、他の部屋は赤ちゃんの教室等の部屋でもあり、流産の人には酷ということでの配慮だったんでは?なんて思います。
ただ単に本当に部屋がなかっただけかも知れないけれど。
手術について一通りの説明を受けました。
私の場合は日帰り入院で、
①前日の9時に絶食
②朝8時に病院、ラミナリア挿入
③午前の診察が終わるタイミングで手術
④しばし安静にし、午後には帰宅
婦長さんは、その時はじめてお会いしましたが、私のような流産患者の相手は流石に上手でした。
上手過ぎて、そしてそこには、周りに人目もないので、堪えていた涙がまた頬を伝いました。
手術の前日、夜9時以降の飲食は禁止され、
いよいよ手術を受けることになりました。
手術について⬇︎
http://campiko.hatenablog.com/entry/2016/09/18/112148
9週で稽留流産と告げられた①
2016年3月末日
妊娠9週。
私は、検診のため午前中で仕事を切り上げ産婦人科へ1人訪れていました。
過去に完全流産の経験があり、またもうすぐ4歳になる娘の妊娠時との悪阻の様子も違い、
今回の検診はなんとなく嫌な予感というか、不安でした。
前回の検診では順調でも、初期は何があるか分からない。それは私の過去の経験から感じていたことです。
とはいえ、軽いとはいえ悪阻も始まっており、流産しているとは思ってもいませんでした。
「ま、1人目と2人目は悪阻って違うっていうし、通勤は片道1時間30分。保育園の開園時間もあるから、1人目妊娠時みたいに座って通勤するために始発電車に乗るような通勤体制をとることもできないし、悪阻が軽いのは正直助かるな」
と、悪阻が軽いことに関してはプラスとして捉えようとしていました。
病院は、1人目と同じ産院。ベテランのおじいちゃん先生。
カルテを見ながら
「1人目はまぁ難産だったね。いわゆるフルコース出産か。その娘さんは元気かい?体重管理はちゃんとして下さいよ?また難産になるの嫌でしょ?」
等々、カルテを見ながら、出産に向けた問診を行いました。
激混みの産院。先生は私のことはもう覚えていないだろうけれど、先生のまるで覚えているような話し方に、1人目の出産を思い出し懐かしい気持ちになりました。
そして、検診台へ。
そして、、、
それまでは、話をしながらエコーをしていた
先生が無言になりました。
私はモニターをみました。
大きな袋の割に小さい我が子。
そしてそこには心拍ありません。
先生は
「あれ〜見えにくいだけかなぁ、、、心拍が見えなくなってるなぁ」
この時、はっきりと流産と私に告げず、可能性という言葉で締めくくられました。
私は
「これはもう期待できないということですか」と尋ねました。
先生は95%の確率で、そうですね、と。
また3日後くるように言われました。
気持ちの、整理のための3日間かもしれないなとも感じました。
努めて冷静を装っていましたが、モニターをみた瞬間から、頬に涙が伝っていました。
予定していた血液検査は中止になり、
記憶があやふやですが、その時のお会計から、保険が適用になっていたように思います。
それから3日間、
心拍が見えなくなって
また見えた人っていないかという報告がないかと、インターネットで調べて、
奇跡を信じてみたり、、、
会社には妊娠を告げていなかったため、報告するかどうかは非常に悩みました。
誰にも告げず、手術して何くわぬ顔で出社し、働くことも不可能ではないと感じましたが、
数日休むことになるかも知れないと、悩んだ挙句
翌日、会社に行き、上司に報告をしました。
幸い自分の仕事が3月末でひと段落していたこともあり、
木曜だったため、金曜日は休み、また経過等を週明け伝えることで折り合いがつきました。
続く⬇︎